真言宗泉涌寺派について
泉涌寺は鎌倉時代初期に宋に13年間留学し、天台・真言・律・禅・浄土の五宗を学び帰朝された月輪大師が、後鳥羽上皇・後高倉院らのご助力を得て、嘉禄二年に宋の形式による大伽藍を創建された事により、以来皇室の御菩提所として天智天皇から昭和天皇までの歴代天皇、皇后、宮様方の御尊碑が奉紀され、今日までその格調高い宗風を保ち栄えてまいりました。
明治時代の宗教改革により、真言宗、泉涌寺派として真言宗十八宗派の一宗派として格調高い宗風を守り継いでいます。
長慶寺の歴史
御本尊は如意輪観世音菩薩。
神亀年間(724年頃)聖武天皇の勅願寺として行基菩薩により開創されました。
以来、岸和田城主岡部公の歴代祈願所、泉州観音信仰の霊刹として人々の信仰を集めています。
あじさい寺
聖武天皇の勅願寺で、境内には西国、坂東、秩父の各本尊観音石仏が御堂に祀られています。
境内に到る百段の石段は「厄除けの石段」と伝えられ、女性は33段目、男性は42段目で厄除けを念ずると御利益があるとされています。
梅雨の時期には、仁王門前の100段の石段脇に植えられたアジサイが咲き誇ります。
その見事な様子から近年では「あじさい寺」とも呼ばれ多くの散策客が訪れています。
和泉西国第二十八番 南海沿線七福神霊場第五番(福禄寿)
ぼけよけ地蔵尊霊場第二十三番
所在地:大阪府泉南市信達市場815 TEL:072-483-2692
お墓は歴史をみると、権力や経済力、社会的な地位をあらわそうとする動きが見られます。
しかし、そもそも墓は。亡くなった人が最期に残す形のものです。肉体を土葬することは古代からの正しい知恵でありますが、
埋めてしまえば、それで終わりという事ではありません。
埋葬した場所を記念し、いつまでも供養する心を忘れない為にも、きちんと戒名を刻んだ墓石を立てておく必要が有ります。
供養の心を思い出せる媒体としての意味と、先祖がそこに眠っている、
自分もこの先祖によって生まれ生かされているのだ、という記念の意味とまた時には一族の名誉や地位を、
他者ではなく、自らの心のうちに心の拠り所として持ち続ける意味とが墓に込められているのです。
先祖供養というか、この先祖たちに感謝する行為は、
自分に繋がるすべての存在をくくり直し、自分が生きる事によって過去の生命を未来に繋げ、生かす行為となります。
人間は死後30年間は現世の垢を落とす修行をする霊界という処に居て、
その後に、それぞれの霊界に旅立っていくとされています。
この30年はある程度、現世と交流を持つ事を許されているのです。
具体的に言えば、お正月やお盆、命日などに何回もこの世に帰って子孫と交わることが出来るわけであります。
ですから、原則として、およそ亡くなって30年間ほど、だいたい三十三回忌までは位牌を置くだけでなく、
折に触れ帰ってきた故人の霊を迎え入れ、温かくもてなしてあげる必要があります。
これが、「供養が大事だ」とする理由であります。